法話2009年6月

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法話2009年6月  安洞院短信6月号掲載

人間の条件

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人間は人間の子として生まれたから人間ではありません。生まれたばかりの子には本能的にお母さんのオッパイを求めるぐらいのことしかできません。生まれてきた子どもは改めて人間になる過程を経ることによって始めて人間になることができるのです。そのためには両親をはじめ様々な人たちから人間の条件を学ばなければなりません。

この学習の訓練が欠けると、人は非人間化する可能性が大きくなります。
そして、人間の条件の基盤や根幹には宗教(仏教)が欠かせないことを指摘しておきたいと思います。

現代の日本社会は深刻に病んでいます。

高学歴者や社会の指導的立場にいる人の犯罪をはじめ様々な殺人・窃盗・詐欺事件が全国的に増加しています。これらは全て仏教徒の行為基準に真向から背くものであり、法治国家においても認められるものではありません。

「殺すな」      第一不殺生戒 (ふせっしょうかい)
「盗むな」      第二不偸盗戒 (ふちゅうとうかい)
「犯すな」      第三不邪淫戒 (ふじゃいんかい)
「嘘をつくな」    第四不妄語戒 (ふもうごかい)
「酒に溺れるな」  第五不酤酒戒 (ふこしゅかい)

仏教の説く十重禁戒の内の第五番目までの戒律は仏教徒にとって最も重んじられる生活規範とされてきましたが、と同時に私たちの社会を維持、継承していくためにも欠かせないモラルとなっています。
そのモラルの存在が今揺らいでいます。

それでは、そうしたモラルを現代までどのようにして私たちは受け継いできたのでしょうか。それは主に祖父母から、仏壇とお墓の関わりにおいて「仏さま・ご先祖さま」の眼差しとして植え付けられてきたといえます。

「誰も見てないけれど、先祖さま・仏さまが見ているよ。」という、ひとり身を慎むといった古来の日本人の考え方。また、犯罪や非人間的な行為を畏れ多いことだと否定してきた社会的な風潮。そうした思想こそが社会の安寧を保障してきたのではないでしょうか。


ここで、ある娘と母の対話を紹介します。

娘「なぜ人を殺してはいけないの?。」

母「いけないのは決まっているじゃないの。」

娘「答えになっていないよ。」

母「お前という人は・・・(怒)」

この話を聞いていた祖父

「今の若者は畏れを知らない。」


畏れとはあの世や仏さまのような大いなるもの・超えてあるものに対するおののきの情感をいいますが、こうした情感は小さい頃からの仏壇やお墓に対する日常的なお参りによってはじめて身につくものなのです。古い考えだといわず、もの言わぬ仏壇やお墓をみんなでおまいりをしながら、失われつつある人間の感性を育みたいものです。

住職

※本文章は、駒澤大学名誉教授佐々木宏幹先生のご講演を基に作成しました。

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