法話2009年5月

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法話2009年5月  安洞院短信5月号掲載

花と人

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春の訪れを待ちかねていたように、境内には様々な花が咲き競います。毎年開花の時期は変わっても、その順序は変わることはありません。
福寿草 梅 犬のふぐり 水仙 枝垂桜 ソメイヨシノ 山桜 山吹 馬酔木 
そして今は山つつじが見事に咲いています。

私たちは花の競演を毎年なんとなく同じように見ていますが、古人は同じ花とは見ていませんでした。年々歳々花相似たり。似てはいるけれども、同じ花は二つとはないといっているのです。

更に花を見ている人とその花の出会いも後にも先にもたった一度だけ。これを一期一会といいます。今まで何気なく見ていた花たちに、こうした気持ちで接するとき、花はより輝いて見えてきます。

同じ地面、同じ枝に咲く花を年々歳々相似たりと表現した古人たちの心の眼に感服いたします。

花に対する人たちを観る視点として、歳々年々人同じからずという対句があります。簡単に訳してしまえば、月日の流れの中で人はいつか亡くなり、同じ顔ぶれが続いていくことの難しさを説いていることになるのでしょうが、もう少し深く考えてみると他人の存亡ではなく、自分自身の命のありようを示しているのではないでしょうか。

私自身振り返ってみると、60年前は赤子、40年前は21歳の青年。実は命と心は刻々と変わっているのです。その時その年齢の心の眼で花を眺めています。同じ花を眺めていながら、鑑賞している心は大きく異なり、まさに写っている花姿は百人百様だと思います。

癌の末期を迎えたある奥様を病院にお見舞いに訪れたおり、別れしなに残された言葉が今でも忘れることができません。

病院の窓から見える山桜の花を眺めながら、
「和尚さん、私、来年の桜の花は見られないかもしれません。」  
と、ふっともらした言葉。残念ながら、その言葉通りになってしまいましたが、その時、彼女と私の眼に映っていた山桜は決して同じではなかったと思うのです。そこには、花を見送る者と、花に見送られる者の違いがあります。どれほど彼女には生涯最後の桜花が輝いて映っていたことでしょう。

自分自身の移ろいやすい命を自覚し、花に送られていくこの身をしっかりと見据えていくことこそが、歳々年々人同じからずという視点なのだと思います。

花見山 花に送られていく 我が身かな


住職

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