
法話2008年11月 安洞院短信11月号掲載
おかげさまで
おかげさまで平成の大般若経六百巻が檀信徒の皆様の浄財によって奉納されました。
去る10月16日には40名のお寺様にお手伝いをいただき、多くの檀信徒の皆様が見守る中、皆様のご多幸と安洞院の繁栄を祈念し、大般若法要が古式ゆかしく営まれました。心より深く感謝申し上げます。明春まではご寄付をいただいた皆様のお名前を六百巻のそれぞれの最後の頁に記入させていただきます。
こうした機会にどのような人たちの思いによって本大般若経が流布されてきたのかを明らかにしておきたいと思います。
本経典は中国から書写によってわが国に伝えられました。
しかし書き写しによってこの膨大な経典を広めることは容易ではありませんでした。そこで江戸時代の初期・延宝年間、黄檗宗の僧 鐡眼和尚が大般若経六百巻の版木作成の願いを起こされ、日本国中からその費用を捻出するため浄財を募集しました。1万数千枚に及ぶ版木の刻字には膨大な費用が必要だったものと思われます。現代の貨幣に換算すれば、数十億円ともいわれています
鉄眼和尚は永年の苦労の果てに、浄財をさまざまな人々からいただきますが、目標寸前まで到達したとき、大飢饉が発生するのです。
鐡眼和尚は飢えに苦しむ人々の惨状を目の当たりにし、せっかく集めた浄財のすべてを飢饉に苦しむ人たちに米に代えて送ってしまいました。
同行の僧侶たちは浄財を目的外に使ってしまった鐡眼和尚を非難します。
しかし、鐡眼和尚は動じることなく非難に応えて言います。
「大般若経は人々の幸福をもたらす経典と伝えられてきた。いま、不幸にある人のためにこの浄財を使うことが、決して間違っているとは思わない。飢饉が去ればまた浄財募集のために努力するだけだ。」と。
鐡眼和尚の慈悲と英断は国中に響き渡り、二度目の浄財募集は初回に比べてはるかに短期間で終了されたと言われています。
いよいよ延宝年間(1670年代)鐡眼和尚の悲願は達成され、版木・手刷りによる大般若経が全国の寺院に流布するようになりました。今でも鐡眼版と呼ばれる所以です。
各巻の末頁には当時の浄財寄進者万人余の名前と沙門鐡眼募刻という字が記されています。
大般若経六百巻が安洞院に奉納されることにより、一人でも多くの人に幸せが訪れて欲しい。そういう願いと鐡眼和尚さんの思いを込めて、今般法要を記念して、市内の児童養護施設「青葉学園」に浄財を寄付させていただきました。
皆様、本当にありがとうございました。
おかげさまで 合掌
住職

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