
法話2008年9月 安洞院短信9月号掲載
宝とは何か?
仏教には「三宝」という言葉があります。
一つ目の宝は、お釈迦様。
二つ目の宝は、お釈迦様が残した教え。
三つ目の宝は、お釈迦様を慕う僧侶。
これら三つの宝が一つになって初めて仏教の入口が開かれるのだと、古来より多くの祖師方が説かれてきました。多くの経典にもたくさん記されています。
そして、この「三宝」という在り方は、仏教のことに限らず、社会や家庭の様々なところにあるのではないかと思います。
私が修行していた横浜市鶴見の大本山總持寺には、かの有名な石原裕次郎のお墓がありました。没後20年を過ぎようとしているというのに、裕次郎の墓はいつでも綺麗な花々に囲まれ、お参りをする方が絶えません。今になって当時の光景を思い出してみると、そこには形は違えど「三宝」そのものがあったと思うのです。
一つ目は、石原裕次郎という人間の姿。
二つ目は、裕次郎が残した映画や音楽。
三つ目は、墓前で涙を流すファンの姿。
どれが一つ欠けても成り立たない。それぞれがそれぞれを生かしあう「三宝」の関係が、裕次郎の墓前に浮かんでくるようです。
同じように、私たちの家庭や家族を見渡してみますと、多くのものが三宝と同じ姿を呈しています。
一つ目は、亡き人です。その人が居てくれたこと。家族の大切な一員を亡くされた記憶のある人は、その人が宝であることは言うまでもないことですね。
二つ目は、亡き人が残してくれたもの。目を閉じれば浮かんでくる故人の面影、聞こえてくる声や言葉。あるいは土地や会社や財産という形あるもの。これも宝です。
そして三つ目の宝は生きている私達です。思い出してくれる人がいる。いつまでも忘れないでいてくれる人がいるからこそ、亡き人がいつまでも姿を変えて生き続けます。
最近は無差別殺人や家族を家族と思わない犯罪が後を経ちません。人と人とのつながり、生と死の境界が曖昧になっている結果が今の世相を示しています。
そんな今こそ、三つの宝は未来への力です。
九月はお彼岸の季節、墓前で手を合わせて先人たちに思いを致し、見えない世界との繋がりを大切にしたいものです。
副住職

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