
法話2008年10月 安洞院短信10月号掲載
つながるチカラ
近年の技術の進歩により、携帯電話や高速インターネットの環境が信じられない速さで整備されてきました。お寺のような山の上まで光ファイバーが届き、ケータイの電波もしっかり受信できます。一昔前では信じられないことです。
地球の裏側にも一瞬でメールが届く。ダイヤルひとつで遠く離れた人の声を聴ける。テレビ電話で顔だって見れる。これは、いつでもどこでも「つながる」ことができるということです。
しかし、「つながる」ことに慣れすぎると、「つながらない」あるいは「つながれない」ことに耐える免疫が無くなります。科学の恩恵を授かった反面、人類全体が思わぬ副作用を被っているように思えてなりません。凶悪犯罪を犯した若者たちを覆っている心の闇が多方面から報じられていますが、共通しているのは孤独や不安といった、「つながる」ことができない問題ばかりです。
本当の「つながり」とは何でしょうか。
それは、「簡単にはつながれない」ことが前提にあってこそ、得ることができるものだと思うのです。ケータイもネットも無い時代には、人間に「つながる」ことができる能力が先天的にありました。
―たとえば
戦地に赴いた夫の陰膳を供える妻の姿。
戦争の最前線で戦う兵士が、故郷で待つ家族のことを思う姿―
会えない相手を思うほど、そのつながりが身に染みて分かります。そして思いが深ければ深いほど、自分にとってその相手がどれほど大切なのかが分かります。ここにこそ、本当のつながりがあるような気がいたします。
現代では、いつでも、どこでも、誰とでもつながることができます。そのような時代にあって、私たちに本当の「つながり」を教えてくれる場所が、仏壇やお墓だと思います。ケータイもネットも届かない場所に人間の思いが届いたとき、本当の「つながり」が生まれます。
ボタン一つで簡単につながることができない場所こそ、私たちがつながらなければならない場所です。ケータイもネットも大切ですが、心のアンテナも大切にしていきたいものです。
副住職


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