
法話2008年4月 安洞院短信4月号掲載
麦踏み
今では麦を作る農家は少なくなりましたが、私が小学生のころお寺では毎年麦を作っていました。寒風の中、手をポケットに突っ込んで兄と二人でよく麦踏みをしました。
数多くの作物の中で小さなうちに踏まれるのは麦だけだと思いますが、実は麦は踏まれて強くなるのです。
若いときに踏まれた麦たちは、危機感をもって根を張り、たくましく成長し、どんな風雨にも倒れない強靭な茎で穂を支えます。ある程度背丈が伸びて、踏まれてしまったならば、茎は折れたきりで枯れてしまうでしょう。
人間にも踏まれるべき時期があります。少年期、青年期に親や先輩に愛情を持って、踏まれることにより、たくましく成長することがはじめて可能となり、様々な困難に立ち向かえる精神力が身についてきます。
中学二年のある男子の詩を紹介します。
いつか僕が悪さをしたとき
父は怒った 本気でなぐった
そしてだまって僕を見つめた
そのとき見たんだ 父の涙を
僕は父にしがみついたんだ
本気でなぐった父の胸に
最近、若者たちによる理解に苦しむ殺人事件が続発しています。加害者と被害者の間に何一つ精神的な絡みもなく、突然引き起こされるこの種の事件に多くの人は怒りを通り越し呆然とするばかりです。
彼らはどのような環境の中で子供時代、少年期をすごしてきたのでしょうか。躾などいう次元の問題ではなく、自分とはいったい何かということ、つまり命に対する考えがまったく形成されていないのではないかという危うさを指摘しておきたいのです。
人生とは人間生活の略語です。人間とは文字通り他人と自分の間を思慮できる人を言います。生活とは生命活用の略語です。自分の命も他人の命も、我々を取り巻く様々な命も最大限に活用できる知恵が日常生活には求められます。
容疑者たちの犯行理由を聞くたびに、ふと、昔の麦踏みを思い起こし、愛情を持って踏むべきときに踏まれなかったであろう彼らの不幸と大人の責任を痛切に感じるのです。
故人となられた方のご冥福と被害にあわれた皆様の一日も早いご快復をご祈念いたします。
住職合掌

次の月へ
前の月へ