
法話2008年5月 安洞院短信5月号掲載
桜の花
今年も安洞院本堂前の樹齢三百余年の老桜は見事な花を咲かせてくれました。私が桜を見ている。しかし、桜から見れば五分の一しか生きていない私。歴代の住職を眺めてきた桜。桜に見られている私。そしていつの日か、桜に送られていく我が身を予見します。
お寺の山は山桜が散り始め、山吹の花が満開となり、新緑がまぶしい季節を迎えています。
今回は桜にちなんだ古歌を紹介し、心情と風情を味わってみたいと思います。
ねがわくは 花のもとにて春死なん その如月の もちづきのころ 【西行】
お釈迦様と同じ日に旅立ちたいと願う西行の心情。世の栄枯盛衰を出家者の眼で眺め、時の旅人として過ごした彼の生涯は後世、俳聖芭蕉に大きな影響を与えたといわれます。
きょうは今日 明日は あしたの 桜かな 【不詳】
明日ありと 思う心のあだ桜 夜半の嵐に 吹かぬものかわ 【親鸞聖人】
散る桜 残る桜も 散る桜 【不詳】
いずれも仏教の根底思想である無常観を詠んだ句歌として知られています。
枯れたように見える枝に花をいっせいに咲かせ、やがて風に誘われるようにして散っていく桜の花。命が芽吹く春、桜の花に命の移ろいやすさを観じ、諸行無常、色即是空のことわりを理解します。そして、散り際の鮮やかさに自分の人生の最後を重ね合わせます。
いずれの花か 散らで残るべき 散る故によりて 咲く頃あれば珍しきなり 【世阿弥】
命のはかなさに流されない視点、命には終わりがあるからこそ素晴らしい。散り行く花だから美しい。死の自覚が生きる意味と味わいを深めていきます。
福寿草 椿 梅 水仙 桜 山吹。境内に咲く花の寿命はそれぞれ異なりますが、与えられた時間を一生懸命に咲き続け、散っていきます。しかし、その後もさらに真剣な命の営みは続いているのです。まさに空即是色、諸法実相の世界です。
古人たちは花の生涯に生きることの意味と命の在りようを学び、様々な句歌を残しています。実にありがたいことです。
住職合掌

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