法話2009年7月

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法話2009年7月  安洞院短信7月号掲載

食育

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飽食の国・日本の食卓が荒れています。豊かさとは裏腹に「食」に対する関心が薄らいでしまって、何のために食べるのか、食事本来の意義が見えなくなってしまいました。空腹になったから、好きなものだけを食べるという人たちが増え続けています。

更には家庭においては、一人ぼっちで食事をする子どもたち、朝食も取らないで学校に行く子どもたちも増えています。食事は運動とともに命を支える最も大切な営みですが、それと同時に心を育むためのかけがえのない営みでもあります。

最近のテレビドラマには頻繁に家族の食事の場面が映し出されますが、その時の家族の会話に何か忘れていた大切なものをふと思い浮かべることがあります。食卓の料理はもっと粗末なものだったかもしれませんが、昔はどこの家庭でも見られるごくありふれた光景でした。子供が自慢げに学校の出来事を話しているとき、お母さんもお父さんもそして爺ちゃんも婆ちゃんもみんな目を細めて聞いてくれました。浮かぬ顔をした子どもの食の細さもみんなで心配したものでした。
子どもたちが未知の世界で様々な体験をして、挫折や得意の中にあるとき、家庭の食卓での会話はどれほど子どもたちにとって貴重な存在だったことでしょうか。人が人間として成長していく空間、それが家庭の食卓ではなかったかと、今改めて考えさせられます。

次に食をいただくということはどういうことなのかを考えてみたいと思います。

私たちは自分の「命」を生かすために、自分以外の命をいただかなければなりません。つまり、動物や植物の「いのち」を犠牲にしているのですから、食べることを軽々しく考えてはいけないはずです。

食事の前に手を合わせて「いただきます」という意味は、多くの命をいただきますということであり、食事の後に「ご馳走様でした」と唱える意味は料理を作ってくれた人、その材料を提供する人たちの、文字通り、馳せ参じ、走って努力した結果に感謝しますということなのです。

禅宗の食事観の第一番目に
「功の多少をはかり、彼の来処をはかる」という言葉があります。分かりやすく言えば、料理が食卓にいたるまでの数え切れない人たちの努力と苦労に思いをいたし、食事として出された様々な命に感謝しましょう、ということなのです。

ローマ帝国は貴族の食文化の乱れから国が崩壊したといわれています。現代日本の食文化の乱れは、人々の健康を蝕むばかりではなく、心までも荒廃させています。食育という視点に立って、みんなで食事を見つめなおしてはいかがでしょうか。

住職

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